加賀の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

石川県加賀市歴史探訪
加賀市の概要
加賀市は、石川県の南西部に位置し、東南部の山地を背に、日本海と福井県に接しています。平成17年(2005年)10月に加賀市と山中町が合併して新生加賀市となりました。
また、魯山人が愛した山代温泉、白山を背景に湖面が広がる片山津温泉を中心とする観光都市でもあり、多くの観光客が訪れています。観光産業の活性化を目指し、片山津温泉地区では「まちづくり総合支援事業」により、魅力あるまちづくりを推進しています。一方、工場団地も造成され、新産業の誘致にも精力的に取り組んでいます。

加賀のあゆみ
大化改新で高志(コシ)の国は、越前・越中・越後に分かれました。当時加賀は、越前に属していましたが、奈良時代の引仁14年(823年)に独立しました。
加賀といえば白山が有名で、白山信仰がありますが、これは養老元年(717年)に泰澄(タイチョウ)によって開山されたもので、古来死者の入山する霊山として信仰されました。

中世に入ると、富樫氏が守護大名として実力を蓄え、一時期は加賀一国を支配するほどの勢力になりました。しかし、その後の一向一揆の攻撃にあい、滅亡しました。
文明3年(1471年)に、本願寺の八世法主である蓮如は、延暦寺の弾圧を逃れて北陸に向かい、加賀と越前の境にある吉崎に根拠を置きました。農民層を中心に精力的な布教を重ね、一向宗の門徒は急速に増大していきました。一向一揆は、富樫政親も自刃するほど影響力が強く、加賀の国には「百姓ノ持チタル国」が生まれ、戦国時代にはまれな一向宗の支配する政治形態は、柴田勝家の武将である佐久間盛政によって落とされるまで約100年間にわたり続きました。

織田信長は、御坊跡に佐久間盛政を配して軍政に当たらせましたが、佐久間の死後、前田利家がその後継者となりました。前田利家は、天正11年(1583年)に尾山城に入城し、金沢城と改めました。以来、金沢城は加賀百万石の本城として、14代300年にわたって続きました。

加賀の瀬越(せごえ)と橋立(はしだて)の地域には、日本海交易で巨額の富を築いた北前船主が多く住んでいました。明治初期がその黄金期で、「日本一の富豪村」と言われたほどで、船主が住む村には税金がなく、学校や道路も船主たちからの寄付金によって建設されていました。橋立地区にある2軒が現存しており、北前船主邸として公開されています。

明治時代以後は、農林漁業・織物・輸送用機器・九谷焼・漆器などの産業が盛んになり、次第に繁栄していくことになりました。

昭和30年(1955年)に1町3ヶ村による合併で山中町が誕生し、その3年後には、江沼郡大聖寺町・山代町・片山津町・動橋町・橋立町・三木村・三谷村・南郷村・塩屋村が合併し、加賀市となりました。その後も編入を行い、平成17年(2005年)に加賀市と山中町が合併・市制を布き、新加賀市となり、現在に至っています。


加賀の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
加賀市歴史民俗資料館
住所: 〒922-0816
石川県加賀市大聖寺東町2丁目4 [地図を見る]
電話番号: 0761-73-2662
開館時間: 平日 9:00〜17:00
(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日、国民の祝日(文化の日は除く)、年末年始、展示替期間
入館料: 一般100円、75歳以上50円、高校生以下・障害者などは無料







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